2008/12/11 03:29:57
今年も気付けば師走である。
使い古された言い回しになるが、歳をとるごとに時の流れを速く感じる。
このままでは、あっという間に40代に突入しそうだ。
今年も妻は、我が家恒例の『大掃除チェックリスト』を貼り出した。

やった掃除に日々チェックマークを入れて行くタイプのリストだ。
途中で、思いついた箇所があれば空白部分にそのつど書き足してゆく。
去年は冷蔵庫に貼ってあったが、今年はトイレのカレンダーの下に貼り出されていた。
尋ねてはいないが、なんとなく理由はわかる。
トイレなら毎日必ず家族が入る。
そこで、ゆっくりと用を足しながらタイムリミットの年末までに、どう掃除を進めるかスケジュールを考えるためであろう。
カレンダーの下ってのが、またなんとも合理的だ。
妻は絶対に会社にいれば、『仕事がデキル』タイプだと僕は確信している。
去年の冷蔵庫に比べて、トイレはより家族の仕事として大掃除を定義した妻の密かなメッセージではなかろうか。
冷蔵庫は基本的に妻の領域だが、トイレは家族内において公共の場である。
ごくわかりやすく言うなら、
『お前もやれよ。』
ということである。
12月の最後に一息にやってしまう家庭も多いと思うが、僕は妻の提唱する『12月に入ったら少しずつ掃除を進める』方式を強くプッシュする。
例えばエアコンの掃除をとってみても、その日「エアコンだけは掃除する」と決めてしまえば、仕事のある平日でも楽々こなせる仕事なのだ。
それが、『大掃除の日』の一日に組み込まれていると、めったにやらない掃除のため、なんだか大掛かりで大変な作業に感じてしまう。
忙しい『大掃除の日』に割り当てられた20分で掃除するよりも、平日の1時間でそれだけに専念してやった方がのんびり丁寧に掃除できる効果もある。
後がつかえているわけではないから、心にも余裕がある。
変なプレッシャーに夫婦でイライラして、場の空気が悪くなることも無い。
至って円満に掃除が出来るのだ。
僕「エアコン掃除したから、チェックマーク入れとくね」
妻「あら、ありがとう。コーヒー入ってるからどうぞ」
ってな感じだ。
それで、もし勢いがついてしまったら、二人目を作るか、もう一項目掃除を進めればよいのだ。
そんな風にやってると、だいたいいつも20日ころには片付いてしまう。
そして、のんびり年を越すのだ。
ぜひ、お試しあれ。
まあ、えらそうに語っているが、これ、全て妻の発案による方法だ。
『デキル』妻に感謝。
今日はエアコンと、冷蔵庫の掃除を終らせた。
使い古された言い回しになるが、歳をとるごとに時の流れを速く感じる。
このままでは、あっという間に40代に突入しそうだ。
今年も妻は、我が家恒例の『大掃除チェックリスト』を貼り出した。
やった掃除に日々チェックマークを入れて行くタイプのリストだ。
途中で、思いついた箇所があれば空白部分にそのつど書き足してゆく。
去年は冷蔵庫に貼ってあったが、今年はトイレのカレンダーの下に貼り出されていた。
尋ねてはいないが、なんとなく理由はわかる。
トイレなら毎日必ず家族が入る。
そこで、ゆっくりと用を足しながらタイムリミットの年末までに、どう掃除を進めるかスケジュールを考えるためであろう。
カレンダーの下ってのが、またなんとも合理的だ。
妻は絶対に会社にいれば、『仕事がデキル』タイプだと僕は確信している。
去年の冷蔵庫に比べて、トイレはより家族の仕事として大掃除を定義した妻の密かなメッセージではなかろうか。
冷蔵庫は基本的に妻の領域だが、トイレは家族内において公共の場である。
ごくわかりやすく言うなら、
『お前もやれよ。』
ということである。
12月の最後に一息にやってしまう家庭も多いと思うが、僕は妻の提唱する『12月に入ったら少しずつ掃除を進める』方式を強くプッシュする。
例えばエアコンの掃除をとってみても、その日「エアコンだけは掃除する」と決めてしまえば、仕事のある平日でも楽々こなせる仕事なのだ。
それが、『大掃除の日』の一日に組み込まれていると、めったにやらない掃除のため、なんだか大掛かりで大変な作業に感じてしまう。
忙しい『大掃除の日』に割り当てられた20分で掃除するよりも、平日の1時間でそれだけに専念してやった方がのんびり丁寧に掃除できる効果もある。
後がつかえているわけではないから、心にも余裕がある。
変なプレッシャーに夫婦でイライラして、場の空気が悪くなることも無い。
至って円満に掃除が出来るのだ。
僕「エアコン掃除したから、チェックマーク入れとくね」
妻「あら、ありがとう。コーヒー入ってるからどうぞ」
ってな感じだ。
それで、もし勢いがついてしまったら、二人目を作るか、もう一項目掃除を進めればよいのだ。
そんな風にやってると、だいたいいつも20日ころには片付いてしまう。
そして、のんびり年を越すのだ。
ぜひ、お試しあれ。
まあ、えらそうに語っているが、これ、全て妻の発案による方法だ。
『デキル』妻に感謝。
今日はエアコンと、冷蔵庫の掃除を終らせた。
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2008/11/23 23:47:35
今日、テレビのチャンネルを回していて、ある番組に目がとまり珍しく長時間見てしまった。
島田伸介の『行列の出来る法律相談所』って番組。
普段どんな番組なのかは知らないけど、今日は特番で長時間枠でやっていた。
著名人の描いた絵をオークションにかけて、その売り上げでカンボジアに学校を建てるという企画だった。
絵に関しては素人から、本当のプロまで、様々な人が描いた100枚の絵。
もちろん絵の技術的には明らかに素人な絵もあった。
でも、何かに飛びぬけている人というのは、やはり感性が豊かなんだなあと思う。
上手い下手は抜きにして、何かを感じさせる絵が多かったのだ。
下手でも、しっかりと表現として成立しているのだ。
観た人に想いを伝えようと言う、明確な意思のある作品。
むしろ、技術が追いつかないからこそ、そのもどかしさまで表現されてしまって、「不器用な男ですから・・・」的にグッとくる作品。
番組の最後に1枚の絵を落札した人が紹介された。
建築業を営むその人に落札した絵を届ける際、番組スタッフが頼みごとをする。
カンボジアに建てる小学校の壁に、今回の100枚の絵をタイルにして貼り付けたい。しかし、現地の技術者では難しいので、カンボジアまで行って貼ってくれる業者を紹介してくれないかと。
彼はボランティアで自ら行って貼ると申し出る。
彼には、たった10歳で難病に苦しみ、この世を去ってしまった娘さんがいた。
彼女は普通の子達と同じように、学校で勉強したがっていたと彼は言う。
カンボジアには学校で勉強できない子供達がたくさんいる。
この番組の企画でそれを知った彼は、黙ってはいられず、オークションに参加したのだ。
タイルを自ら貼りに行ったのも同じ気持ちからだろうと思う。
カンボジアの学校に、汗びっしょりになりながら黙々とタイルを貼ってゆく。
最後の1枚のタイルは番組から、彼へのお礼にプレゼントされた。
亡くなった彼の娘さんの似顔絵が描かれたタイル。
『お父さんの作ったこの学校で、ずっと勉強できるように。』
そんな想いの込められたタイル。
彼はその最後のタイルを丁寧に壁に貼り付け、首からかけていたタオルで顔をおさえて泣き崩れた。
絵を描いた人。
絵を買った人。
絵をタイルにして、カンボジアの学校まで貼り付けに行った人。
その人の、学校に行けずに亡くなった娘さんの似顔絵もタイルにしてプレゼントした人。
そもそも、この企画を立ち上げた島田伸介とアグネス・チャンという言う人。
みんな僕らと同じように、世の中に振り回されて生きているに決まってる。
酷い仕打ちにだって、何度も遭って来たに決まってる。
ホントは自分の事だけで手一杯に決まってる。
だから、僕は思う。
すてきな人達だなあ、と。
脱線したりもするけど、こんな人になりたかったんだって、忘れないように心に刻んでおこう。
ただ・・・、番組のタイトルと、その内容のつながりの無さだけが、最後まで僕の中で謎だった。
毎回観ている人は、流れで解っているんだろうけども。
島田伸介の『行列の出来る法律相談所』って番組。
普段どんな番組なのかは知らないけど、今日は特番で長時間枠でやっていた。
著名人の描いた絵をオークションにかけて、その売り上げでカンボジアに学校を建てるという企画だった。
絵に関しては素人から、本当のプロまで、様々な人が描いた100枚の絵。
もちろん絵の技術的には明らかに素人な絵もあった。
でも、何かに飛びぬけている人というのは、やはり感性が豊かなんだなあと思う。
上手い下手は抜きにして、何かを感じさせる絵が多かったのだ。
下手でも、しっかりと表現として成立しているのだ。
観た人に想いを伝えようと言う、明確な意思のある作品。
むしろ、技術が追いつかないからこそ、そのもどかしさまで表現されてしまって、「不器用な男ですから・・・」的にグッとくる作品。
番組の最後に1枚の絵を落札した人が紹介された。
建築業を営むその人に落札した絵を届ける際、番組スタッフが頼みごとをする。
カンボジアに建てる小学校の壁に、今回の100枚の絵をタイルにして貼り付けたい。しかし、現地の技術者では難しいので、カンボジアまで行って貼ってくれる業者を紹介してくれないかと。
彼はボランティアで自ら行って貼ると申し出る。
彼には、たった10歳で難病に苦しみ、この世を去ってしまった娘さんがいた。
彼女は普通の子達と同じように、学校で勉強したがっていたと彼は言う。
カンボジアには学校で勉強できない子供達がたくさんいる。
この番組の企画でそれを知った彼は、黙ってはいられず、オークションに参加したのだ。
タイルを自ら貼りに行ったのも同じ気持ちからだろうと思う。
カンボジアの学校に、汗びっしょりになりながら黙々とタイルを貼ってゆく。
最後の1枚のタイルは番組から、彼へのお礼にプレゼントされた。
亡くなった彼の娘さんの似顔絵が描かれたタイル。
『お父さんの作ったこの学校で、ずっと勉強できるように。』
そんな想いの込められたタイル。
彼はその最後のタイルを丁寧に壁に貼り付け、首からかけていたタオルで顔をおさえて泣き崩れた。
絵を描いた人。
絵を買った人。
絵をタイルにして、カンボジアの学校まで貼り付けに行った人。
その人の、学校に行けずに亡くなった娘さんの似顔絵もタイルにしてプレゼントした人。
そもそも、この企画を立ち上げた島田伸介とアグネス・チャンという言う人。
みんな僕らと同じように、世の中に振り回されて生きているに決まってる。
酷い仕打ちにだって、何度も遭って来たに決まってる。
ホントは自分の事だけで手一杯に決まってる。
だから、僕は思う。
すてきな人達だなあ、と。
脱線したりもするけど、こんな人になりたかったんだって、忘れないように心に刻んでおこう。
ただ・・・、番組のタイトルと、その内容のつながりの無さだけが、最後まで僕の中で謎だった。
毎回観ている人は、流れで解っているんだろうけども。
2008/11/21 11:09:37
朝、いつものように愛犬と息子を連れての散歩中。
いつもの公園の入り口の辺りにある木の下に、何やら茶色くて丸いものがたくさん転がっている。
息子も気付き、ベビーカーから身を乗り出して地面を見ている。
僕は、そのひとつをつまんで手に取った。
どんぐり。
毎年こうして気付くのだけど、そのたびになんだか懐かしい。
それはやはり、拾い集めた子供のころの記憶のせいだろうと思う。
息子にもひとつわたす。
僕ら夫婦は誤飲にだけ気をつけるけど、汚いとか汚れるとかは気にせずに、葉っぱでも石ころでもそしてどんぐりでも触らせることにしている。
興味を持ったらいじり倒したいもんでしょ、子供って。
岩手沿岸北部に住む友人のブログには、早くも雪景色。
こちらは、秋から冬にさしかかるところです。
2008/11/20 03:38:42
今日、岩手の中学時代の友人から久々にメールがきた。
内容はいたってシンプル。
「お前の母ちゃんの名前ってユミコだっけ?」
それだけである。
それだけであるが、非常に気になった。
なぜ、何年も会っていない地元の友人が突然僕の母親の名前をたずねてきたのか。
色々なことが頭をよぎる。
良くない知らせだったら大変だと思い、すぐ返信した。
気持ちとは裏腹に、いたって冷静を装ったメール。
「そだよ。
どした?」
いくらなんでもそっけなさ過ぎである。
送信してから激しく後悔。
久々の友人に気の効いた挨拶の一言くらい記すべきだった。
友人から返信は来ない。
おいおい、なんだったんだ?
思わず、携帯電話で母親の氏名をググってみた。
ちなみに、「ググる」とは、インターネットでグーグル検索にかけてみると言う意味である。
お、けっこう引っかかるじゃん。
いくつかのサイトがヒットした。
その中に岩手日報のサイトがあった。
僕の母親は看護師で、詳しくは知らないが何やら面白いことをやっている人だ。
病院と言う職場環境にサービス業的な経営理論を持ち込み、看護師の仕事に誇りと新しい価値観を、病院と患者さんにより良い関係を生み出そうと運動をしている。
それは、僕のようなサービス業の人間から見ると、「ホスピタリティ」を文字通りの場所、病院に取り戻すための運動に見える。
会うたびに母親は自分のやっていることを楽しそうに、そして熱っぽく語るのだが、実際その内容は今僕が本を読み漁り勉強し、実践し始めているサービスの考え方と酷似しているから面白い。
その、病院環境改革は成果をあげ、どうやら多方面から注目されているようだ。
それを今回、岩手日報と言う新聞社が記事にとりあげたのだった。
20代になったばかりのころは、両親くらい軽く越える人生を歩んでやるなんて思っていた。
最近は景色も遠くまで見えるし、知らないうちに親より高い山を登ってるのかななんて思っていたりもした。
でも、どうやら僕はまだ、父親と母親の登った山の登山口に立った程度みたいだ。
深夜過ぎに中学時代の友人から遅い返信が来た。
悔しいことに、気の効いた挨拶も添えられていた。
「新聞に笑顔で載ってた。
えらくなったね母は。
では、良いお年を。」
内容はいたってシンプル。
「お前の母ちゃんの名前ってユミコだっけ?」
それだけである。
それだけであるが、非常に気になった。
なぜ、何年も会っていない地元の友人が突然僕の母親の名前をたずねてきたのか。
色々なことが頭をよぎる。
良くない知らせだったら大変だと思い、すぐ返信した。
気持ちとは裏腹に、いたって冷静を装ったメール。
「そだよ。
どした?」
いくらなんでもそっけなさ過ぎである。
送信してから激しく後悔。
久々の友人に気の効いた挨拶の一言くらい記すべきだった。
友人から返信は来ない。
おいおい、なんだったんだ?
思わず、携帯電話で母親の氏名をググってみた。
ちなみに、「ググる」とは、インターネットでグーグル検索にかけてみると言う意味である。
お、けっこう引っかかるじゃん。
いくつかのサイトがヒットした。
その中に岩手日報のサイトがあった。
僕の母親は看護師で、詳しくは知らないが何やら面白いことをやっている人だ。
病院と言う職場環境にサービス業的な経営理論を持ち込み、看護師の仕事に誇りと新しい価値観を、病院と患者さんにより良い関係を生み出そうと運動をしている。
それは、僕のようなサービス業の人間から見ると、「ホスピタリティ」を文字通りの場所、病院に取り戻すための運動に見える。
会うたびに母親は自分のやっていることを楽しそうに、そして熱っぽく語るのだが、実際その内容は今僕が本を読み漁り勉強し、実践し始めているサービスの考え方と酷似しているから面白い。
その、病院環境改革は成果をあげ、どうやら多方面から注目されているようだ。
それを今回、岩手日報と言う新聞社が記事にとりあげたのだった。
20代になったばかりのころは、両親くらい軽く越える人生を歩んでやるなんて思っていた。
最近は景色も遠くまで見えるし、知らないうちに親より高い山を登ってるのかななんて思っていたりもした。
でも、どうやら僕はまだ、父親と母親の登った山の登山口に立った程度みたいだ。
深夜過ぎに中学時代の友人から遅い返信が来た。
悔しいことに、気の効いた挨拶も添えられていた。
「新聞に笑顔で載ってた。
えらくなったね母は。
では、良いお年を。」
2008/11/10 11:00:18
このマンションを買って引っ越してくる前、僕らはすぐ近くの小さなアパートに住んでいた。
2DKの部屋が5部屋並んだ2階建てのアパート。
築年数もけっこうたっていて、見るからに古いアパートだった。
付き合っていた僕らが同棲を始めるために借りたアパート。
この辺の地区で、ペットの飼育が可能な割安アパートは貴重だったから、不動産屋でみつけてすぐに契約した。
砂利の敷き詰められたわりと広い庭に面した1階の部屋。
窓はいつも少し開けていて、そこから猫達が庭に出ては遊んだり、日向ぼっこしたりしていた。
当時5匹いた猫達にやられて壁はボロボロだったし、シンクが壊れたり、風呂のドアが外れたり、排水が詰まったりと古いアパートなりにトラブルも多かった。
左となりのカップルが朝方によく物凄いけんまくで喧嘩をしていて、何か事件になるのではないかと、いつもヒヤヒヤしていた。
右となりのおばさんが猫好きで、うちの猫達に餌を与えて可愛がってくれていた。
職をなくした友人がしばらく居候していたりもした。
近所の人達とも犬の散歩中に挨拶をかわして、何人かよく話す人もできた。
そのうちの一人が草野球チームの監督で、誘われるまま出来もしない草野球に参加したりもした。
良いこと、嫌なこと、住んでいた3年半の間に色々あったなあと思う。
その中でも、最高に大切な思い出が僕にはある。
それは本当にいつもの何でもない朝のこと。
いつもの時間に起きて、犬の散歩をし、いつものモーニングワイドショウを見ながら僕らは朝食を食べていた。
彼女はTVを見ながら何かの事件について話しているが、僕の耳にはその内容が入ってこない。
僕はその朝、そわそわしていた。
いや、正確に言うとここ数日、そわそわしていた。何も手に付かないほど。
その原因は数日前から、僕のバッグの奥の方にしまいこまれている。
僕は、その隠し事をいつ彼女に伝えるべきか悩み、数日間もそわそわしているのだ。
いつものモーニングショウの終わりが近づく。
この番組が終わったら、出勤の時間だ。
番組の最後はいつも占いのコーナーだった。
各星座ごとに5段階でその日を占う。
星座のマークの横に馬が1頭~5頭、走ってくるのだ。
言うまでもなく、1頭が最低で、5頭なら大ラッキーというわけだ。
物凄く稀に、一年に数回ってくらい稀に、5頭の上を行く超大ラッキーな日がある。
その稀な日は、5頭現れた馬が青いテディベアに変化する。ラッキーブルーベアと言うらしい。
ちなみに僕は双子座だが、双子座にラッキーブルーベアが出たのをまだ見た事がない。
見逃した日に出ている可能性もあるが、つまりそれくらい稀なのだ。
話は、そわそわした朝に戻る。
その朝、彼女の星座にラッキーブルーベアが出たのだ。
子供のように大喜びの彼女。
「今日、いったいどんな良いことがあるのかなあ!?」
僕はここ数日の隠し事を打ち明ける最高のタイミングを見つけた。
「どうして今日ラッキーブルーベアが出たか、俺、知ってるよ。」
僕は言う。
「え?なんで、なんで?」
彼女が聞いてくる。
僕は立ち上がり玄関の方へ歩いた。
玄関先に置いてある肩掛けのバッグに手を突っ込み、その一番奥から小さな箱を取り出す。
「君がカレーライスをあまり好きじゃないのは知っているけど、これからもたまにはカレーライス作ってね。」
たしか、そんなようなことを言いながら、僕は彼女にその小さな箱を渡した。
それから少しして、僕らは家族になった。
今日、朝から息子を連れてママ友のうちへ出かけて行った妻が、その道中で僕にメールをよこした。
コーポ里が無い
解体されてる
寂しいね
2DKの部屋が5部屋並んだ2階建てのアパート。
築年数もけっこうたっていて、見るからに古いアパートだった。
付き合っていた僕らが同棲を始めるために借りたアパート。
この辺の地区で、ペットの飼育が可能な割安アパートは貴重だったから、不動産屋でみつけてすぐに契約した。
砂利の敷き詰められたわりと広い庭に面した1階の部屋。
窓はいつも少し開けていて、そこから猫達が庭に出ては遊んだり、日向ぼっこしたりしていた。
当時5匹いた猫達にやられて壁はボロボロだったし、シンクが壊れたり、風呂のドアが外れたり、排水が詰まったりと古いアパートなりにトラブルも多かった。
左となりのカップルが朝方によく物凄いけんまくで喧嘩をしていて、何か事件になるのではないかと、いつもヒヤヒヤしていた。
右となりのおばさんが猫好きで、うちの猫達に餌を与えて可愛がってくれていた。
職をなくした友人がしばらく居候していたりもした。
近所の人達とも犬の散歩中に挨拶をかわして、何人かよく話す人もできた。
そのうちの一人が草野球チームの監督で、誘われるまま出来もしない草野球に参加したりもした。
良いこと、嫌なこと、住んでいた3年半の間に色々あったなあと思う。
その中でも、最高に大切な思い出が僕にはある。
それは本当にいつもの何でもない朝のこと。
いつもの時間に起きて、犬の散歩をし、いつものモーニングワイドショウを見ながら僕らは朝食を食べていた。
彼女はTVを見ながら何かの事件について話しているが、僕の耳にはその内容が入ってこない。
僕はその朝、そわそわしていた。
いや、正確に言うとここ数日、そわそわしていた。何も手に付かないほど。
その原因は数日前から、僕のバッグの奥の方にしまいこまれている。
僕は、その隠し事をいつ彼女に伝えるべきか悩み、数日間もそわそわしているのだ。
いつものモーニングショウの終わりが近づく。
この番組が終わったら、出勤の時間だ。
番組の最後はいつも占いのコーナーだった。
各星座ごとに5段階でその日を占う。
星座のマークの横に馬が1頭~5頭、走ってくるのだ。
言うまでもなく、1頭が最低で、5頭なら大ラッキーというわけだ。
物凄く稀に、一年に数回ってくらい稀に、5頭の上を行く超大ラッキーな日がある。
その稀な日は、5頭現れた馬が青いテディベアに変化する。ラッキーブルーベアと言うらしい。
ちなみに僕は双子座だが、双子座にラッキーブルーベアが出たのをまだ見た事がない。
見逃した日に出ている可能性もあるが、つまりそれくらい稀なのだ。
話は、そわそわした朝に戻る。
その朝、彼女の星座にラッキーブルーベアが出たのだ。
子供のように大喜びの彼女。
「今日、いったいどんな良いことがあるのかなあ!?」
僕はここ数日の隠し事を打ち明ける最高のタイミングを見つけた。
「どうして今日ラッキーブルーベアが出たか、俺、知ってるよ。」
僕は言う。
「え?なんで、なんで?」
彼女が聞いてくる。
僕は立ち上がり玄関の方へ歩いた。
玄関先に置いてある肩掛けのバッグに手を突っ込み、その一番奥から小さな箱を取り出す。
「君がカレーライスをあまり好きじゃないのは知っているけど、これからもたまにはカレーライス作ってね。」
たしか、そんなようなことを言いながら、僕は彼女にその小さな箱を渡した。
それから少しして、僕らは家族になった。
今日、朝から息子を連れてママ友のうちへ出かけて行った妻が、その道中で僕にメールをよこした。
コーポ里が無い
解体されてる
寂しいね