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『ありふれた奇跡』というTVドラマが始まった。
息子を寝かしつけてTVをつけたら、偶然第1話がはじまったところだった。

まだ、1話を観ただけなのでわからないんだけど、久しぶりに期待できるドラマだと感じた。
最近、マンガが原作だったり、そうじゃなくてもマンガみたいな展開や演出のドラマが多い。
僕はマンガはマンガとして読むのが好きなので、そういったドラマがあまり好きではないのだ。
在ってもいいけど、大人が喜んで見るもんじゃないだろ、と思ってしまう。

そうじゃないドラマを久しぶりに見つけた。
大人がちゃんと楽しめそうなドラマ。
まだ始まったばかりだから、物語は何かを語れるほど進んでいない。
しかし、さっき書いたような漫画的な演出や子供だましな展開は恐らく意図的に排除されている。
主人公達の家族内の会話など、台詞の一つひとつまでとても丁寧に組み立てられていて、直接『こんな家族です。』と自己紹介的な演出で見せるのではなく、あくまで会話のやり取りから視聴者に想像させる演出。
情景の描写がとにかく丁寧で、『漫画的』に対して言うならば『小説的』に作り込まれている。
それだけに、物語の進行は、近頃のドラマの中にあって極めてスローだ。

僕はこういう作品が好きだ。
毎週木曜日が少し楽しみになった。
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元旦は朝から初詣に行ってきた。
元旦に行くのは十数年ぶりだと思う。
よく考えれば当たり前のことだけど、物凄く混んでいた。
国道から少し入ったところにある神社。
10時ころに着いたときには国道まで参拝の列ができていた。
息子をおんぶしたまま、列の最後尾に。
元旦の午前中からの参拝は冷たい空気に心もピリッと引き締まって気持ちがよかった。

今日、そのときのことを上司との雑談のなかで話すと、怪訝そうな顔をされた。
その上司は昔から初詣には行かないらしい。
信仰の気持ちがあるわけでもないのに正月だけ神頼みするってのが納得いかないようだ。
まあ、凄くかたい人なので、僕は「らしいなあ」と、別にその考えを否定することもなく聞いた。
そして、僕は自分自身に尋ねた。
「俺にとって初詣って何だろなあ?」と。
確かに特別に信仰心があるわけはない。
でも、なぜかほとんど毎年(行く日にちは違えど)参拝している。
参拝できなかった年は、なんか年のはじめがスッキリしない。

答えは仕事帰りの自転車の上であっさり出た。
僕は確認するために毎年参拝しているのだ。
何を確認しているかというと、『最も大切な願い』を確認しているのだ。
自分が現在もっとも願っていることが何なのかを、年のはじめに確認しているのだ。

数え切れない無駄な欲を削ぎ落としていったその先に、最後に残るただひとつの願い。
それは考えてみるとすごく当たり前で、まっとうな願い事だったりする。
わかっているつもりでいても、普段の生活の中では雑多なことに追われてしまって忘れている願い事だったりする。
そしてそれは、大抵が欲とはかけ離れた、ピュアな、祈りに近いような、願い事なのだ。
それをしっかり意識しておくことは、人生の中でバタバタやってくる選択肢の中で優先順位をつけるためにとても重要なことだと僕は思う。

お金よりも大切なこと。
名誉や出世よりも大切なこと。
時に自分自身よりも大切にしたいこと。

僕は僕にとってのそれが何なのか考え、確認し、実現するための自らの行いを決意するために初詣に行っているのだ。
年が明けて時間がたち、日常に追われるようになると、ついついまたうっかり忘れてしまうのだけど、それでもやっぱりせめて年のはじめにくらいは「大切なことのために頑張るぞ!」と決意したいじゃんと初詣に出かけるのだ。


元旦の朝、僕らは初詣に出かけた。
参拝者の長い列は国道の歩道から始まり、鳥居をくぐり、境内へ続く長い坂道のある森の中に伸びていた。
僕は息子をおんぶして、妻と坂を上ってゆく。
なんだか清々しい気持ちで、長い列を見てもイライラしない。
妻とくだらないおしゃべりをしているうちに頂上にたどり着いた。
天気も良いし人ごみの中なので、そんなに寒くはない。
僕らは賽銭箱に小銭を投げ入れ、ふたつ手をたたいて目を閉じた。
僕は僕の一番大切な人達の幸せを祈った。
息子はもう随分前から僕の背中で寝息をたてている。

新年最初の記事が去年の話ってのも、どうかとは思うけども、大晦日の出来事を。

大晦日は朝から市川にある市場に出かけてきた。
僕ら家族三人と、妻の中学時代からの友達家族三人。
僕らお父さんは子どもを抱っこしてあやす係。
妻達は二人で芋洗い状態の市場を歩き回り必要なものを買ってくる係。

お雑煮用の小松菜、八つ頭。
ハム、刺身用のマグロ・・・。
お正月用の食材メインの買い物。

うちの妻は、市場が大好きだ。
ただでさえ活気溢れる市場にひときわ大きな声を響かせて、値切る、値切る(笑)。
もともとおじさんとのコミュニケーションを得意とするので、近所の八百屋でも上手に値切ってきたり、畑作業をするおじさんに話しかけては気に入られて野菜をどっさり貰ってきたりする。

本日の成果は、一柵3000円の大トロを1900円。
ひとつ1200円のハムを二つで2000円。
大トロはかなり頑張ったね。
しかも、隣で値切りたいのに言い出せずにモジモジしていたお婆さんの分まで値切ってきたよ。
みんな、魚屋のオヤジも、笑顔。

正月の市場はノリ一発だ。
普通の買い物として、値札のままの値段で買ってゆく人達もたくさんいる。
でも、不公平な雰囲気とかは不思議と生まれない。
普通に買い物するか、どうせならスーパーには無い雰囲気を楽しんで買い物するか。
それは、おのおのの自由なのだ。

僕は少し離れたところから、眠ってしまった子どもを抱きながらその様子を見ていた。
正月の市場はとてもバブリーだなあと思った。
一応基準として値札の値段があるのだけども、やり取りや、まとめ買いすることでかなり変動する。
どんなに値切ったって、お店に利益が出るラインは当然守られているのだろう。
もともと少し高めの値札をつけて、適度に「値切り」を楽しんでもらう感じなのかもしれない。
とにかく、商品が本来持っている価値と、そこに付けられる値段の関係が恐ろしく曖昧なのだ。
僕は思った。
「卸値というが、本当にスーパーよりお得なのだろうか。」
まあ、ある種のお祭りみたいなものだから、そこに硬いことを言うのは野暮なんだろうけど。
こればかりは1900円の大トロを食べてみて、値段と天秤にかけてみるまでわからない。
わかりやすく言うと、
「なんかみんな、場の雰囲気に酔ってしまって、なかばだまされてはいないかい?」
と、そう思ったのだ。

あけまして、元旦。
待ってましたと、大トロやハムを切り出して食べてみた。
市場のみなさん、ごめんなさい。
めちゃめちゃ、美味いです。

十分に上等な大トロだった。
寿司屋でこれが乗った一貫の値段を想像するに、一柵1900円はありえないほどお得だと思う。
妻よ、よくやった。

RIMG0522.JPG











「マグロに文句言う前に、お前の包丁さばきをなんとかしろ!」
という、突っ込みが聞こえてくる。
妻の名誉のために言っておこう。
正月は僕が全ての料理をやりました。ほんと、すいません。



馬鹿は風邪をひかないと言うけども、久しぶりに本格的なヤツをひいてしまった。
3日間熱が下がらず、朦朧としながら仕事だけは何とかこなす日々。
めったにひかないので統計的にはサンプル数不足だが、僕の場合、風邪ウィルスは100パーセント寝ている間に抜ける。
ある朝目覚めると、前日までの鬱っぷりがウソのように爽やかな気分になっているのだ。
「あ、抜けたな」
と、はっきり自覚できるほど体の奥からエネルギーが湧いてくる。
今朝が、それだった。
昼間大掃除で残っていた風呂場の掃除を2時間かけて丁寧にやり、夕方から夜中までバリバリと仕事を片付け、真夜中に帰ってきて昨日までは更新する気が起きなかったブログをこうして書いている。
我ながらわかりやすすぎる変りっぷりである。

僕は風邪をひく前も、ひいた後もマスクをつける習慣がない。
「マスクをつけたことが無いのか?」
と訊かれれば、
「あるよ。」
と答えられるのだけど、それが何時、何故つけたのか記憶に無い。
ただ『マスクを使ったことがある』という記憶だけがあるのだ。
そんな僕が、今回は思い立ってマスクを使ってみた。
仕事場では他のスタッフにうつさないために。
家では家族にうつさないために。
結果として1日のうち、かなりの時間マスクを装着していた。
思っていたより苦しいね、マスクって。
なんか吐いた息をガーゼに吸収されて、吸う時はその自分が吐いた二酸化炭素をまた吸わされている感じ。
必要以上に強く呼吸してしまう。
こりゃ、ずっとつけていたら肺活量アップするなと思った。

熱があると一つのことを集中して考えるのが難しくなる。
マスクのせいで酸欠気味だったのもあるだろう。
思考のキーワードが新たなキーワードを連想させ、思考はいとも簡単に旅に出る。
それはインターネットをリンクからリンクへサーフィンするうちに趣旨をどんどん離れていってしまうのによく似ている。
「あれ、そもそも何を考えようとしてたんだっけ?」
となる。
思考の旅というのは大概が時間の無駄であるが、たちの悪いことになかなか心地よい。
そのへんも、ネットサーフィンとよく似ている。

とにかく、僕は珍しく使ってみたマスクについてアレコレ考えるうちに、熱と酸欠にやられ思考の旅に出てしまっていた。
思考の世界は宇宙のように無限で、心地よい。
僕は『考えても無駄なこと』から『考えても無駄なこと』へと、つぎつぎ思考をめぐらせた。
ずっとこのまま、『考えても無駄なこと』を考えていたいなあ。と思った。
しかし、僕はもう30代の大人だ。
残念ながら15歳の少年ではないのだ。
思考の旅の果てに、泥沼にはまり世界中の不幸を一人で背負ったような気持ちになったりはしない。
世の中で自分だけがズレているような気持ちになったりもしない。
なんだか急に達観してしまって、しばらくの間やたらクールな人間を演じてしまったりもしない。
30代の大人は思考の旅を途中できりあげてしまうのさ。
「何やってんだ、俺」
と、我にかえってしまうのさ。悲しいけどね。

僕が思考の旅を切り上げたとき、最後に考えていたこと。
それは、
「年越す前に車のエアクリーナー掃除しておこう」
であった。
旅はマスクの息苦しさから始まり、車のエアクリーナの掃除でおわった。
意外と近いとこに着地したなあ、と思う。


※こんなことに注釈を入れるのもどうかと思うが※
エアクリーナーとは、エンジンが燃焼のための空気を吸い込む際、外気からチリやゴミを取り除くためのフィルターである。
これが汚れて詰まってくると、エンジンは『息苦しく(空気を吸い込みずらく)』なり、本来の性能が発揮できなくなる。

昨日は会社の忘年会だった。
年に一度の無礼講。
昨年はよりによって社長にからみ、しかも酒を飲まない社長が真面目に受け答えしてくれた内容をまったく覚えていないという体たらくで、翌日は会社で白い視線を浴び続けた僕。

今年もけっこう飲んだんだけど、潰れることも絡むこともなく、楽しむことができた。
僕よりはるかに上を行く暴れっぷりを見せてくれたバイトスタッフがいたからだ。

彼は大声で奇声をあげて会場内を走り回った。
そのままトイレへ駆け込んで出てきたと思ったら、いきなり倒れこんで鼾をかいて眠ってしまった。
他の客にも迷惑がかかるので、眠る彼を見て皆がホッとした。
が、すぐに起きた。
そして、やはり奇声をあげながら店の外へ出て行った。
僕は上司なので、彼があまり無茶なことをしないよう、連れ戻すために外へ出た。
店の前に並んで停めてあった十数台の自転車が全て倒れていた。
彼が蹴り倒したに違いない。
どこいったかと探すと、通りの向こう側で自動販売機に喧嘩を売っている最中だった。
僕は相手が自動販売機であることをごく冷静に彼に説明し、店に戻るように諭した。
すると彼は自動販売機では相手に不足があったのか、道路に飛び出した。
通りすがりの不幸な車を数台止めて当たり屋のごとくからみだしたところで、やむなく殴り倒して店に連れ戻した。
もちろん、ドライバーには僕から謝罪しておいた。その中にそっち方面の方がいなかったのが不幸中の幸いだった。
しかし、彼はまだ暴れたりなかったようで、後輩のバイトに酒を強要しながらテーブルや壁をたたいて騒いでいる。
「こりゃ、つぶした方が早いな。」
そう思った。
僕は店の人に頼んで、お猪口のような小さなコップにテキーラ・ロシアン・ルーレットを用意してもらった。
4杯はただの水で、残りの4杯にはテキーラが入っている。
酔った勢いで闘争本能が暴走しているからか、彼は簡単に勝負にのってきた。
8杯のセットを2回飲みきったところで、彼の意識がなくなった。
彼は5回テキーラを引いた。
つまり僕は3回。珍しくクジ運に恵まれた。

どうやら、自分以上に手のかかる奴がいると、僕は酒に飲まれずにすむらしい。
今日彼は二日酔いで青い顔をして出勤してきた。

「すいません、店を飛び出したとこから記憶がないんです。」

いや、酒って怖いね。

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