稼動のかんばしくない台と、最新の台を入れ替える作業だ。
もう、何年もこの仕事をしているのだけど、入れ替えだけは今でもきつい。
肉体的に。
新台を入れるスペースを作るための配置変えも含めると、数十台を設置したり、撤去したり、運んだり。
一人暮らし用の小さい冷蔵庫あるでしょ。
冷凍室が庫内で仕切られた、ワンドアタイプの。
あれより少しおもいくらい。
大きめのブラウン管テレビくらいかな。
作業自体はなれているので、迷ったり考えたりする必要もなく、黙々と作業に没頭。
終わって帰ってきたのが2時半過ぎのこと。
大きな入れ替えだと、朝日が差すころまでってのも珍しくないわけで。
今日のは軽い方か。
で、帰って、メシ食って、着替えて、グーグー寝る。
もう、筋肉がきしんで、「早く休ませろ!」ってうるさいんで、風呂は翌日にシャワーを浴びることが多い。
洗面所に行って着ていた服を脱ぎ、顔を洗う。
いつも、洗面台の横にパジャマ代わりのスウェットを妻が用意してくれている。
ふと、洗面台の横を見ると、たたまれたスウェットの上に小さなズボンが置いてある。
今日、息子がはいていた小さな紺色のズボンが、スウェットの上に置いてある。
ただ、それだけ。
ただ、それだけのことが、せわしなくなっている僕を幸せで暖かい気持ちに引き戻してくれる。
たくさん可愛がってもらい、さらには服と、三輪車を買ってくれた。
もちろん、まだ自分でこぐことは出来ないのだけど。
僕たちが押して走り回ると、息子は満面の笑顔。
どうやら、この新しい遊びに夢中だ。
三輪車は、バラバラに分解された状態でやってきた。
出来上がりを考えると随分小さい段ボール箱に入って我が家へやってきた。
君が三輪車かい?
ようこそ我が家へやってきたね。
僕がそれを組み立てている間、息子は僕のそばを離れなかった。
もちろん三輪車を組み立てていることを理解しているわけが無い。
何かを作っているって事だって理解できないはずだ。
でも、息子は僕のそばを離れなかった。
少しずつ組みあがってゆく三輪車を、触って、たたいて、かぶりついて、彼なりに確かめている。
そんな風に見えた。
少しずつ何かが組みあがってゆく過程を、まるで楽しんでいるように見えた。
僕は、これは人間の本能じゃないかと思う。
産まれてすぐに、何も学習しなくても泣いたり、おっぱいに吸い付いたりするのと同じように。
蟻が列を作って歩いたり、カンガルーが産まれた子をお腹の袋に入れるのと同じように。
知的好奇心ってのは、人間の本能なんだろうと僕は思うのだ。
妊娠中から現在に至るまで。
そう思うことがしばしばある。
先日、僕はいつものように我が子と遊んでいた。
彼のお気に入りのおもちゃを片っ端から広げて。
具体的に言うならば、トミカを手で走らせながら「ブウーン、ブウーン!」とドリフトさせてみたり。
あるいは、チョロQを先導させて僕も一緒にハイハイレースをしたり。
または、テーブルを挟んで上、下、上、下、と連続で「いないいないばあ」をしてみたり。
僕は真剣だ。
息子と接する貴重な時間は僕にとって、いつも真剣勝負なのだ。
「お父さんはつまらない」なんて、絶対に思わせるわけには行かない。
その真剣な遊びっぷりは彼に伝わり、彼もすこぶる上機嫌だった。
ところが、一瞬にして彼の表情がクシャクシャに潰れた。
文字通り「わんわん」泣き出したのだ。
僕はあせった。
数十秒前へさかのぼり、自分の行動を振り返る。
僕が何をした?
おもちゃを取り上げた?いや、おもちゃは未だ彼の手の中だ。
オムツ・・いや、これもさっき換えたばかりだ。
どこかぶつけた?そんな様子はなかったよなあ・・・。
とりあえず抱き上げる。
ぐずったときは、これが一番だ。
妻が横で見ている。
使えない父親だなんて、思わせてなるものか。
しかし、泣き止まない。
抱いたまま、少しゆすってやる。
「どした?どこか痛いのか?ほらたかいたかーい」
これは、息子のお気に入りだ。
アクションの大きな遊びこそ父親の真骨頂。
この動きは腕力で劣る妻には真似できまい。
まだ泣き止まない。
よし、わかった。電車を見よう!
うちのベランダからは、わりと近くを走る電車を見ることができる。
彼は電車を見るのが大好きなのだ。
・・・・キターーーーー!
京成線、空気読めすぎ。
「ほら、電車来たよ。ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトンって」
そこで、息子は諦めた。
明らかにそんな顔をした。
「こいつじゃ話にならねえ」と。
抱いていた僕の腹を蹴りつけ、降ろせとせがんでくる。
僕はちょっとだけ、イラっとした。
そこに見かねた妻登場。
「お父さんはダメだねえ」
と言って、息子にストローの付いた子供用のマグカップをわたした。
息子はストローに吸い付き、喉を鳴らす勢いで水をのんでいる。
すっかり泣き止んでしまった。
「な、何でわかるの?」
僕は思わず聞いた。
「泣き出す少し前から、テーブルの上のマグカップをチラチラ見てたじゃん」
妻は続ける。
「しゃべれないんだから、目線も気をつけて見てないとね」
妻は僕らが遊んでいる間、少し離れたところで洗濯物をたたんでいた。
そこから、息子の目線に注意をはらっていたのだ。
正直、参った。
母と子にだけ存在するテレパシーとか言われた方が、幾分気持ちは楽だった。
息子はマグに水が入っていて、それが自分の乾いた喉を潤してくれることを知っている。
しかし、「ちょっと、マグカップ取って」とは言えないのだ。
マグの方を見て、泣く。
それが彼の精一杯の表現。
マグを見て笑うより、マグを見て泣いた方がわかってもらえると思ったのだ。
悲しかったわけでも、痛かったわけでも、ましてや意味なくぐずったわけでもなかった。
こういう事があると、僕はたびたび思う。
父親と母親には、役割がちゃんとあるのだなあと。
父親は自分のエゴを見せ付ける。
子供の知らない物事を取り出しては、「これ、おもしろいだろ」、「これ、すごいだろ」と、遊び、見せるのだ。
そして、それはたいてい父親自身が好きな物だったりする。
子供はそれをきっかけにして世界を未来へ広げてゆく。
好奇心をくすぐり未だ知らぬ世界、未来を見せるのが父親の役目。
母親は子供の見ているものを見る。
何を捉え、どう感じているのか、つぶさに観察する。
そこから、子供の安心と安全、そして信頼が生まれる。
子供の現在の居場所を守るのが母親の役目。
母親の役割分において、父親は、
「母親には勝てねえなあ」となるより仕方ない。
手前味噌になりますが、我が家のアイドル、ハイハイにはちょっと自信があります。
彼が普段どおりの実力を見せてくれれば、そうとうな実力者がいない限り優勝して賞品のおもちゃをゲットできるはずです。
時間前に会場のトイザラスに到着。
エントリーを済ませ、コースの下見。
同じ月齢くらいの赤ちゃんとそのお母さんが20組弱。
平日なのでお父さんは僕ともう一人だけでした。
わきあいあいと会話しながらも、そこは勝負の世界。
お母さんたちの表情にはピリリとした緊張感も見え隠れしています。
じゃっかんビビリ気味の僕をよそに、我が息子、早速ハイハイで突進し他の子達をけん制。
ぜんぜん知らない子のおもちゃをとり上げ、満面の笑みを見せています。
息子よ、君、けっこう大物だね・・・。
冷や汗をかきながら、おもちゃをお母さんに返し謝る僕。
しばらくして、お店のお兄さんのマイクパフォーマンスと共にレーススタート。
我が子は・・・おい!ねむいのか?!
どうやら始まる前にはしゃぎすぎたようです。
なんとか眠気を紛らわせて、いよいよ息子の組の番がやってきました。
多少眠くても大丈夫、見た感じ今日の面子なら君の実力の8割で勝てる相手ばかりさ。
レースは1組4人で行われます。
一人ずつお母さんと自己紹介。
我が妻、マイクのお兄さんに「お母さんはやる気満々です!」と言われていました。
そして緊張の瞬間・・・。
「よーい、どんっ!」
前の組を見る限り、優勝する子はスタートと同時に動き出し、無駄なく、よどみなくゴールへと確実にハイハイしていました。
ダメな子はスタート地点から動き出すまでに時間をロスしている。
つまり、スタートが肝心なのです。
我が子にとって最大の不幸は、隣のコースのお母さんが子供を誘うためにお菓子の袋を開け、それをかざしたことでした。
我が家のアイドル・・・。
スタート地点で、かわいくお口を「あぁーん」しています・・・(失笑)。
隣のコースのお母さんも苦笑い。
いやいや、お前にあげようとしてるお菓子じゃないっつーの!
そのまま1分経過。
5分でゴールできなければ失格です。
1位の子はとっくにゴールしていました。
残念、無念。
彼の初参戦初優勝の夢はここで途絶えました。
妻はここで伝家の宝刀、チョロQを出しました。
息子の前でカチカチ音が鳴るまでプルバック、ゴール方向へ一気に走らせます。
スロースターターのエンジンが、ようやく唸りを上げました。
前の組の優勝者にもまったく引けをとらないスピードでハイハイ、ハイハイ、ハイハイ、ゴール!
ひとつだけ残念だったのは、コースをハイハイしていたのが既に彼一人だったことです。
記録は1分30秒。
動き出してからなら、総合優勝の子を上回る20秒台だったでしょう。
わかっております。
勝負の世界に「たら」「れば」は許されません。
しかし、言わせてください。
最初からチョロQを出していれば・・・(悔し泣き)。
息子は親の気も知らず、最高の笑顔で参加賞を貰っていました。
うん、まあ、いいか。
がんばったね。
なかなか楽しませてもらったよ。
君が追い込み型のスロースターターだって事もわかった。
距離が3倍ならぶっちぎりさ。
頑張ったご褒美だ。
ミニカーをひとつ買ってやろう。
色々な車種のトミカを2つずつ取って、「どっちが良い?」と、息子に選ばせてゆきます。
最後の二択。
ランボルギーニ・ムルシエラゴと悩んだ挙句、彼が手に取ったのはマツダ・RX-7。
今日、息子の中に僕似の部分を二つ見つけられました。
ひとつは、空気を読めないスロースターターぶり。
もうひとつは、スポーツカーが好きで、その中でもRX-7が好きだと言うこと。