妊娠中から現在に至るまで。
そう思うことがしばしばある。
先日、僕はいつものように我が子と遊んでいた。
彼のお気に入りのおもちゃを片っ端から広げて。
具体的に言うならば、トミカを手で走らせながら「ブウーン、ブウーン!」とドリフトさせてみたり。
あるいは、チョロQを先導させて僕も一緒にハイハイレースをしたり。
または、テーブルを挟んで上、下、上、下、と連続で「いないいないばあ」をしてみたり。
僕は真剣だ。
息子と接する貴重な時間は僕にとって、いつも真剣勝負なのだ。
「お父さんはつまらない」なんて、絶対に思わせるわけには行かない。
その真剣な遊びっぷりは彼に伝わり、彼もすこぶる上機嫌だった。
ところが、一瞬にして彼の表情がクシャクシャに潰れた。
文字通り「わんわん」泣き出したのだ。
僕はあせった。
数十秒前へさかのぼり、自分の行動を振り返る。
僕が何をした?
おもちゃを取り上げた?いや、おもちゃは未だ彼の手の中だ。
オムツ・・いや、これもさっき換えたばかりだ。
どこかぶつけた?そんな様子はなかったよなあ・・・。
とりあえず抱き上げる。
ぐずったときは、これが一番だ。
妻が横で見ている。
使えない父親だなんて、思わせてなるものか。
しかし、泣き止まない。
抱いたまま、少しゆすってやる。
「どした?どこか痛いのか?ほらたかいたかーい」
これは、息子のお気に入りだ。
アクションの大きな遊びこそ父親の真骨頂。
この動きは腕力で劣る妻には真似できまい。
まだ泣き止まない。
よし、わかった。電車を見よう!
うちのベランダからは、わりと近くを走る電車を見ることができる。
彼は電車を見るのが大好きなのだ。
・・・・キターーーーー!
京成線、空気読めすぎ。
「ほら、電車来たよ。ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトンって」
そこで、息子は諦めた。
明らかにそんな顔をした。
「こいつじゃ話にならねえ」と。
抱いていた僕の腹を蹴りつけ、降ろせとせがんでくる。
僕はちょっとだけ、イラっとした。
そこに見かねた妻登場。
「お父さんはダメだねえ」
と言って、息子にストローの付いた子供用のマグカップをわたした。
息子はストローに吸い付き、喉を鳴らす勢いで水をのんでいる。
すっかり泣き止んでしまった。
「な、何でわかるの?」
僕は思わず聞いた。
「泣き出す少し前から、テーブルの上のマグカップをチラチラ見てたじゃん」
妻は続ける。
「しゃべれないんだから、目線も気をつけて見てないとね」
妻は僕らが遊んでいる間、少し離れたところで洗濯物をたたんでいた。
そこから、息子の目線に注意をはらっていたのだ。
正直、参った。
母と子にだけ存在するテレパシーとか言われた方が、幾分気持ちは楽だった。
息子はマグに水が入っていて、それが自分の乾いた喉を潤してくれることを知っている。
しかし、「ちょっと、マグカップ取って」とは言えないのだ。
マグの方を見て、泣く。
それが彼の精一杯の表現。
マグを見て笑うより、マグを見て泣いた方がわかってもらえると思ったのだ。
悲しかったわけでも、痛かったわけでも、ましてや意味なくぐずったわけでもなかった。
こういう事があると、僕はたびたび思う。
父親と母親には、役割がちゃんとあるのだなあと。
父親は自分のエゴを見せ付ける。
子供の知らない物事を取り出しては、「これ、おもしろいだろ」、「これ、すごいだろ」と、遊び、見せるのだ。
そして、それはたいてい父親自身が好きな物だったりする。
子供はそれをきっかけにして世界を未来へ広げてゆく。
好奇心をくすぐり未だ知らぬ世界、未来を見せるのが父親の役目。
母親は子供の見ているものを見る。
何を捉え、どう感じているのか、つぶさに観察する。
そこから、子供の安心と安全、そして信頼が生まれる。
子供の現在の居場所を守るのが母親の役目。
母親の役割分において、父親は、
「母親には勝てねえなあ」となるより仕方ない。
そんなモンだよ。
感覚も感情も互いに違う物を持って補い合ってるんだから・・・
だから 惚れたんだろ? んっ!
参ったところを簡単には認めたくないけど
仕方ないんだよね。
女性は凄いんだよ、強いんだよ・・・だから何だよ?(笑)
と、開き直ったところであります。
気長にお持ちください。