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『24』を2週連続で借りてきたときに、たまたま空いてたんで借りてきました。
『カールじいさんの空飛ぶ家』
もはや、世界最高のアニメスタジオ、ピクサーが昨年末に公開した作品です。

元風船売りのカールじいさんは、愛する妻に先立たれ孤独な生活を送っていました。
じいさんの住む家の周りは開発され、やがてある事件をきっかけにカールじいさんも家を追われることに・・・。
妻との思い出の詰まった家を捨てることが出来ないカールじいさんは、風船を全て家にくくりつけ、家ごと旅立つことに。
目指すは、妻にいつか連れて行くと約束し、ついに果たせなかった南アメリカの伝説の地。

ピクサーの作品は脚本をチームで行っていて、数年がかりで一作の脚本を書き上げることで有名です。
子供向けだからと安易な作品を作るスタジオには爪の垢を飲ませたい話ですが。
結果、出来上がる作品は非常に計算されつくされた完成度の高いものになります。
子供は子供の目線で最高に楽しみ、そして子供にせがまれて仕方なしに付き添いできた大人は予想外の感動に叩きのめされ子供が満足して笑っている横で涙することになります。
この作品に限らず、これこそがピクサー作品の最大の魅力だと僕は思っています。

そして、やはりこの作品も凄まじい完成度。
計算されています。
おそらく涙もろい人は冒頭の数十分、カールじいさんの子供時代から始まる妻になる人との出会い、結婚、悲しい出来事、そして妻との別れを描いた一連の流れで涙腺を制御できなくなるでしょう。
映画のCMもこの辺を強調したものでした。
つまり「愛する妻との別れと思い出」です。

断言しますが、これらは全てピクサーの計算です。
カールじいさんが妻と暮らした家を捨てられないように、この映画の視聴者にもこの夫婦の思い出に最大限に感情移入してもらうための。
それを実現するために冒頭の数十分に求められるハードルは相当に高いものでしたが、ピクサーのスタッフは見事に作り上げました。
そして、この冒頭があるからこそ意外な方向へ進んでゆく物語が気持ちいいほどにバシッとはまります。
誰もが映画を見る前に想像していたような方向よりも、はるかにポジティブな方向に話は進んでゆきます。
妻の思い出と共に心中してしまってもおかしくない老人を、思いがけないほど前向きな方向に向き直らせます。

これ以上はネタばれになるし、そうならないようにうまく説明する文章力は僕には無いので是非観てみてください。
損はまずしません。
超映画批評の言葉を拝借するなら、「別れのあとに、必ず描かれるもの」を意識して観てください。
妻と別れてからのカールじいさんは、旅立ちと共に住み慣れた地と別れ、空の旅と別れと・・・別れの連続です。
最後には一番別れたくなかったはずのものも自ら捨て去ります。
その後に、カールじいさんを待ち受けていたものとは何か。

ピクサーの作品で、「これはやめといたほうが良いよ」ってやつはありません。
『カーズ』も、『モンスターズインク』も、『ファインディング・ニモ』も、そして今公開されている『トイ・ストーリー3』も含めて傑作ぞろいです。
でも、その中でもこの『カールじいさん』は異色です。
ピクサー初のリアルな人間が主人公の作品。
(インクレディブルは微妙だけども。)
そして、今までのものに比べると、大人に向けて作られた感じの強い作品です。
たとえば『ファインディング・ニモ』は子供は冒険活劇として、大人は子を思う親として楽しめるようにあえて冒険する親を描いています。
子供たちは離ればなれになったニモを探すパパの冒険に夢中になり、親たちは冒険の途中で子育ての問題に気付いてゆくニモのパパに夢中になります。
まったくもってうまく計算されています。
しかし、今回はこのバランスが大人よりだと僕は感じました。
なので、大人の人、ぜひ明日レンタルで借りてきて観てみましょう。
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高校生のころ、仲の良かった悪さ仲間が3年に上がるときそろって退学した。

本当の友達なら彼らをとめるべきだ。
何故とめないのか。
自分は学校に残り、何食わぬ顔で最後の一年を過ごしている。
最近の子達の距離感はわかりかねる・・・。

先生や大人たちはそう思ったんじゃないか。
大人になった今の僕も、きっとそう思うだろう。
すごく大きな誰もが認める本当の正しいことの前に、まっとうな理屈の前に、子供たちの正義はあまりにもろくて、はかない。
大人たちの正義をたててあげたい気持ちと、痛いほどわかる友達の気持ちの間で揺れにゆれ、なんとも踏ん切りの付かない居心地の悪い場所にいるしかない子供の気持ちは、大人にはわからない。

主人公の少年はパイロット仲間の少女が乗ったまま制御不能になった機体を、その少女ごと破壊しなければならなくなるシーンがある。
世界を、人類を救うためにはしかたない選択だ。
それを強要する大人たちが悪ってわけじゃない。
むしろ正しい。
しかし少年はその後パイロットでいることを辞退する。
周りの大人たちはもう一人のパイロットの少女が、去ってゆく彼をとめることを期待する。
しかし、彼女は主人公の少年をとめない。
周りの大人はこう言う。
「あの子達の距離感はわかりかねる」と。
「肝心なところでさめている」と。

でも、それは違う。
彼女には去ってゆく彼の気持ちが痛いほどよくわかるから、とめられないのだ。
しかし、かといって自分も辞めてしまうわけにもいかないのだ。

十数年前、TVシリーズでこの作品を見ていた若者は親になる歳になった。
そしてこのリメイク劇場版が公開された。
十数年前の若者たちも観ているであろうこの作品に、製作者はこのプロットを形を変えて再度収録した。
これは、あえてだと思う。

その狙い通り、このシーンは大人になった僕たちの、今の子供たちの距離感がつかめない僕たちの胸にグッサリ突き刺さる。
本来みるべき軸とは角度が違う関心の仕方かもしれないけど。
こんな角度から見ても、やっぱりこの作品は凄い出来栄えだ。


インターネット禁止生活を送っています。
じゃあ、娯楽は何も無しかと言うとそんなこともなくて、時間が決まっていたり、英語が聞けたりといった都合から、映画は自分に許しています。

街の不良レベルのワルが銀行の貸金庫強奪を計画。
みごとに成功するも、盗んだブツの中にイギリス王室のスキャンダル写真が入っていたという、実話をもとにした映画です。

そもそもこの強奪計画の話を誰が持ち込んだのか?
写真の行方に誰が困り、誰が得をするのか?
まったく退屈することなく最後まで観る人を引き付ける良くできた映画です。

この映画は銀行を襲った犯人達を意図的に『善良』な人達に見えるようにつくられています。
観客が感情移入するのもやはり犯人達なわけです。
その犯人達を観客の視点として、写真を利用しようとしている人達、写真を奪ってスキャンダルを揉み消そうとする人達の姿が描かれます。

なんで世の中は正直に勤勉に生きている人達が、いいように利用されるんでしょうかね。
なんて、子供っぽい感想を最初に持ちました。

『悪人』と言う言葉にどんな人の顔が浮かびますか?

僕は数人の政治家の顔が浮かびました。
でも、そんなのはいいように植えつけられたイメージに過ぎないかもしれません。
何故なら、その数人の政治家がダーティなイメージになることで得する人達もまた必ずいるからです。
結局、人は自分が直接やり取りした少ない人間に対してしか責任を持って「いいやつだ」とは言えないんです。
それは例え裏切られても納得できると言う意味で。
なのに日常の中で会ったこともない人のことを「あいつは信用できる」「あいつは悪人だ」ってやりとりが繰り返されるわけです。
馬鹿馬鹿しいなあ・・・なんて思ったり。

選挙だってそんなもんです。
顔で選んだって、政策で選んだってたいして違いはありません。
あんなにみんな投票した民主党だって金の問題にまみれ、政策は定まらず、アメリカを困惑させるような状態になってるじゃないですか。
じゃあどうやって選ぶんだよって話になりますが、そんなん知らねえよと。
それくらい自分で考えろと。
ははは。

ちなみに僕は地域にしろ国にしろ、規模の大きさに違いはあれ何らかの結果を出してきた人を選ぶようにしています。
つまり、米軍基地の移転先にしろ、高速道路や子供手当てにしろ、このまま国民感情と世界の現実との間に挟まれてどっちにも良い顔をしながら結局何も決められないなら、次の投票で(投票しない事も含めて)別な道を考えると言うだけの事です。

僕が子供の頃、合唱発表会で一人だけ音程を外して歌う僕に見かねた両親が、僕をピアノ教室に通わせた。
小学校に上がるかどうかってころ、期間もせいぜい1年か2年だ。
しかし結果的にはその短い期間が僕の音楽的素養の7割くらいを作ったと感じている。
その後、僕は中学、高校、大学と順調に(?)音楽にハマり、結局当時やっていたバンドを東京で試したいと言う気持ちから関東に出てきた。
アルバイトをしながらバンド活動を続ける日々。
そのアルバイト先で女の子に出会って好きになった。
バンドは辞めて、その子と結婚し、子供もできた。
もし、両親が僕の音痴を治すためにピアノを習わせると言う選択をしていなかったら・・・。
たぶん僕はここには住んでいないし、いま一緒に暮らす妻と子供との生活も無かっただろうと思う。

これぞまさしくバタフライエフェクト。
「蝶が羽ばたくと地球の裏側で竜巻がおこる」とか、「風がふくと桶屋がもうかる」とか。
つまり、ほんの小さな原因や選択が未来に起きる出来事を大きく左右すると言うカオス理論の考え方だ。
この映画はこのモチーフを使って、見事に観る人のこころに2つのテーマを伝える。

たぶんこの映画を観た特別不幸ではない普通の人達、つまりほとんどの人は、自分が今の状況で生きて行けていることに感謝の気持ちが湧くんじゃないだろうか。
今の自分をつくったたくさんの小さな原因や環境のめぐり合わせに感謝したくなると思う。

そしてもうひとつ。
人(人格)というのは、小さな原因となる選択や環境のめぐり合わせによって作られるんじゃないかと考えさせられる。
生まれながらに悪魔のような人間や、生まれた時から神様みたいな善人なんていない。
どんなに悪魔のような連続殺人犯にも、きっとそうなってしまったたくさんの小さな原因と環境のめぐり合わせがあるんだろう。

人は過去には戻れない。
だから今、できる選択、選べる環境が未来をつくって行くことをもっときちんと意識して、大切に考えなくてはいけないなあ・・・と。

そんなことを感じさせる映画でした。
練りこまれた脚本に唸らされる作品です。
間違いなく名作なので、観ていない人はぜひ。

そこは現代日本によく似たどこか。
その国では小学校入学時にワクチンとして無作為に選ばれた1/1000の子供にナノカプセルが注射される。
ナノカプセルが注射された子供は18歳から24歳の間に死んでしまう運命。
そして死の24時間前に国から通称『逝紙(イキガミ)』が届く。
この制度によって、国民は命の大切さと生きる事の使命を感じ、国の安定が保たれる世界。

はいはい、マンガです。
最近じゃよくあるマンガ原作の映画です。
もうね、設定がマンガでしょ?
いわゆる「トンデモ」設定。
と、映画の最初の数分間を観てほとんどのまともな大人は感じると思います。
「アホか?」と。
でも、是非観てください。
この映画は邦画に稀に観る良作だと思います。

監督はこの非現実的な設定の違和感をその後に見せるドラマで、どうでもよいことにしてしまいました。
この映画で語られるのは、24時間で死んでしまうと知らされたら人間はこうも人間らしく生きられると言うことです。
SFの「トンデモ」な漫画的設定はその舞台を作るためのものでしかありません。

この映画の中に登場する「24時間の命」を告げられた3人はどうしようもない人達なんです。
彼らの最後の24時間の輝きは、間違いなく今の日本人に向けた監督のメッセージだと思います。
だから涙が止まらなくなるんです。

『超映画批評』と言うサイトに書かれていました。
「おそらく、そのテーマ性を意識しないで観た人も表面上の物語に感動し、涙を流すうちに監督の言いたい事はは知らず知らず心に届く事だろう。よい映画とはそういうふうに出来ている。」
と。
まったく、同意です。
よい映画とはそういうふうに出来てるんです。

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