2009/01/08 03:32:40
元旦は朝から初詣に行ってきた。
元旦に行くのは十数年ぶりだと思う。
よく考えれば当たり前のことだけど、物凄く混んでいた。
国道から少し入ったところにある神社。
10時ころに着いたときには国道まで参拝の列ができていた。
息子をおんぶしたまま、列の最後尾に。
元旦の午前中からの参拝は冷たい空気に心もピリッと引き締まって気持ちがよかった。
今日、そのときのことを上司との雑談のなかで話すと、怪訝そうな顔をされた。
その上司は昔から初詣には行かないらしい。
信仰の気持ちがあるわけでもないのに正月だけ神頼みするってのが納得いかないようだ。
まあ、凄くかたい人なので、僕は「らしいなあ」と、別にその考えを否定することもなく聞いた。
そして、僕は自分自身に尋ねた。
「俺にとって初詣って何だろなあ?」と。
確かに特別に信仰心があるわけはない。
でも、なぜかほとんど毎年(行く日にちは違えど)参拝している。
参拝できなかった年は、なんか年のはじめがスッキリしない。
答えは仕事帰りの自転車の上であっさり出た。
僕は確認するために毎年参拝しているのだ。
何を確認しているかというと、『最も大切な願い』を確認しているのだ。
自分が現在もっとも願っていることが何なのかを、年のはじめに確認しているのだ。
数え切れない無駄な欲を削ぎ落としていったその先に、最後に残るただひとつの願い。
それは考えてみるとすごく当たり前で、まっとうな願い事だったりする。
わかっているつもりでいても、普段の生活の中では雑多なことに追われてしまって忘れている願い事だったりする。
そしてそれは、大抵が欲とはかけ離れた、ピュアな、祈りに近いような、願い事なのだ。
それをしっかり意識しておくことは、人生の中でバタバタやってくる選択肢の中で優先順位をつけるためにとても重要なことだと僕は思う。
お金よりも大切なこと。
名誉や出世よりも大切なこと。
時に自分自身よりも大切にしたいこと。
僕は僕にとってのそれが何なのか考え、確認し、実現するための自らの行いを決意するために初詣に行っているのだ。
年が明けて時間がたち、日常に追われるようになると、ついついまたうっかり忘れてしまうのだけど、それでもやっぱりせめて年のはじめにくらいは「大切なことのために頑張るぞ!」と決意したいじゃんと初詣に出かけるのだ。
元旦の朝、僕らは初詣に出かけた。
参拝者の長い列は国道の歩道から始まり、鳥居をくぐり、境内へ続く長い坂道のある森の中に伸びていた。
僕は息子をおんぶして、妻と坂を上ってゆく。
なんだか清々しい気持ちで、長い列を見てもイライラしない。
妻とくだらないおしゃべりをしているうちに頂上にたどり着いた。
天気も良いし人ごみの中なので、そんなに寒くはない。
僕らは賽銭箱に小銭を投げ入れ、ふたつ手をたたいて目を閉じた。
僕は僕の一番大切な人達の幸せを祈った。
息子はもう随分前から僕の背中で寝息をたてている。
元旦に行くのは十数年ぶりだと思う。
よく考えれば当たり前のことだけど、物凄く混んでいた。
国道から少し入ったところにある神社。
10時ころに着いたときには国道まで参拝の列ができていた。
息子をおんぶしたまま、列の最後尾に。
元旦の午前中からの参拝は冷たい空気に心もピリッと引き締まって気持ちがよかった。
今日、そのときのことを上司との雑談のなかで話すと、怪訝そうな顔をされた。
その上司は昔から初詣には行かないらしい。
信仰の気持ちがあるわけでもないのに正月だけ神頼みするってのが納得いかないようだ。
まあ、凄くかたい人なので、僕は「らしいなあ」と、別にその考えを否定することもなく聞いた。
そして、僕は自分自身に尋ねた。
「俺にとって初詣って何だろなあ?」と。
確かに特別に信仰心があるわけはない。
でも、なぜかほとんど毎年(行く日にちは違えど)参拝している。
参拝できなかった年は、なんか年のはじめがスッキリしない。
答えは仕事帰りの自転車の上であっさり出た。
僕は確認するために毎年参拝しているのだ。
何を確認しているかというと、『最も大切な願い』を確認しているのだ。
自分が現在もっとも願っていることが何なのかを、年のはじめに確認しているのだ。
数え切れない無駄な欲を削ぎ落としていったその先に、最後に残るただひとつの願い。
それは考えてみるとすごく当たり前で、まっとうな願い事だったりする。
わかっているつもりでいても、普段の生活の中では雑多なことに追われてしまって忘れている願い事だったりする。
そしてそれは、大抵が欲とはかけ離れた、ピュアな、祈りに近いような、願い事なのだ。
それをしっかり意識しておくことは、人生の中でバタバタやってくる選択肢の中で優先順位をつけるためにとても重要なことだと僕は思う。
お金よりも大切なこと。
名誉や出世よりも大切なこと。
時に自分自身よりも大切にしたいこと。
僕は僕にとってのそれが何なのか考え、確認し、実現するための自らの行いを決意するために初詣に行っているのだ。
年が明けて時間がたち、日常に追われるようになると、ついついまたうっかり忘れてしまうのだけど、それでもやっぱりせめて年のはじめにくらいは「大切なことのために頑張るぞ!」と決意したいじゃんと初詣に出かけるのだ。
元旦の朝、僕らは初詣に出かけた。
参拝者の長い列は国道の歩道から始まり、鳥居をくぐり、境内へ続く長い坂道のある森の中に伸びていた。
僕は息子をおんぶして、妻と坂を上ってゆく。
なんだか清々しい気持ちで、長い列を見てもイライラしない。
妻とくだらないおしゃべりをしているうちに頂上にたどり着いた。
天気も良いし人ごみの中なので、そんなに寒くはない。
僕らは賽銭箱に小銭を投げ入れ、ふたつ手をたたいて目を閉じた。
僕は僕の一番大切な人達の幸せを祈った。
息子はもう随分前から僕の背中で寝息をたてている。
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【我家の初詣です】
お正月に兄夫婦を乗せて盛岡での休暇を計画しました。2日は、渋滞で疲れ切っていたのでステーキやお雑煮のある物夕食で済ませました。3日に雪が見たいという兄嫁の希望で雪の十和田湖へ向かい奥入瀬渓流を見せたのですが、例年より雪の多い青森に二人は歓声しきり。地吹雪もしっかり体験して驚きの中にホテル十和田荘に到着しました。これも兄嫁の要望で青森にしかない「源タレ」というものを売店で尋ねたのですが無くて、向かいの酒屋さんで見つけました。しっかり我家の分も購入してもらいついでに地酒も買って温泉にゆったり浸かってくつろぎの一時を味わいました。夕食もとても美味しくって毛がにもついたのですよ。翌日は、十和田湖の十和田神社に初詣!歴史のある立派な神社でした。もちろん私の願いは「ダンスが上手くなって見る人に感動を与えられますように」でした。兄嫁のおみくじは大吉で、兄と主人は末吉でした。私はおみくじは引きません。何時もなのですが・・・今が良ければ そのつきが逃げるようで嫌なのです。5日に兄夫婦はとても喜んで新幹線で帰って行きました。めでたしめでたしです。
本家のおじさん達がうちに来るのは初めてなんじゃない?
北東北を楽しんでのんびりできたなら、めでたしめでたし。
北東北を楽しんでのんびりできたなら、めでたしめでたし。
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