読んでみると、ほめて育てる事の大切さが書かれた本だ。
ほめられることによって、自信や、信頼の芽が育つ。
ほめられることによって、相手が自分をよく見て理解してくれていると安心する。
ほめられることによって、自分が嬉しい事は相手も嬉しいのだと感じる。
そうして、信頼し、理解し、同じ事に喜びを感じている事をきちんと表現しているからこそ、叱った時に大きな効果が現れる。
普段、きちんとほめておくことは、たまにある『叱る事』の効果を大きくしてもくれるのだ。
自分を認めほめてくれる人と、イライラと感情に任せて叱ってばかりいる人、あなたならどちらの言うことを聞きたいだろうか。
なんか、僕がスタッフと接するときに意識している事とよく似てる。
根っこの部分は、大人も子供も変らないんだね。
そして思った。
僕はもっと素直に、子育てに奮闘する妻をほめてあげなきゃいけない。
内容を抜粋すると
①1~10、逆から数える。ゼロを覚えさせる。
②客が来たときに30分1人で遊ばせる。子供と30分遊ぶ約束を覚えさせえる。
以上、歩いてから。
以下0歳児。
①いないいないばあを1日5回はやる。
②カラフルな洋服を着せる。
③おんぶをする。
④おむつ交換は必ずしゃべりながら。
⑤常にどっちが良いか選択させる。
⑥赤ちゃん語を使わない。
⑦鉛筆など、持たせずに、使っているのを見せる。
と、こんな感じの事がズラーっとメモされている。
常に意識できるようにティッシュの箱に書いたんだろうなあ。
妻は僕に比べて頭でっかちなタイプではない。
それでも、育児雑誌や本をよく読んで勉強しているのだ。
ほんと感心する。
手前味噌だけども。
うちの子が、物や言葉の認識が早いのや、運動神経が良く見えるのは、天才少年だからじゃないのね。
お母さん、頑張ってるよ。ほんと。
このマットも最近妻が買ってきた。
息子は既に全ての絵柄とその名前を一致させている。
「ヘリコプターは?」と聞けば、上段一番右の絵を指さす。
「バイクは?」と聞けば、下段真ん中の絵を指さす。
まだ、自分では発音できないのに、しっかり聞き分けているのだ。
僕がギターを弾きながら歌ったときにすぐ真似をするのを見ても、「耳はすごく良いんだなあ」くらいには思っていたけども。
つまりは聞いた音を、物の名前であるとか、感情表現であるとか、歌であるとか、そういう認識をする能力が高いのは、妻が2人っきりでいるときに常に話しかけ、教え、褒め、笑い、怒り、歌ってコミュニケーションを意識的に心がけているからなのだ。
ほんとうに凄いなあと思う。
離婚したときに母親が親権をとる事が多いけども、子供ができて凄く納得した。
これはね、男には相当頑張らないと無理。
少なくとも僕には補助で精一杯だ。
父がいなくとも子は育つが、母は絶対必要。
父は父にしかできない事、やるべき事を頑張ろう・・・(汗)。
入れたてのコーヒーをふたつならべたテーブルを挟んで
僕たちは、みかんを剥く
くだらないおしゃべりをしながら
息子の様子を時々、気にしながら
次々とみかんを剥いて、大きなタッパーへ放り込んでゆく
ひとつ、ふたつ、みっつ・・・
飛行機が飛んでく音が聞こえてくる
行き先は成田か、羽田か
みかんは息子の食後のデザート
大きなタッパーがいっぱいになるまで
山ほど、みかんを剥いてゆく
息子は昼寝
となりで犬も昼寝
陽のあたる窓際で猫も昼寝
なんだか時間はゆっくりと流れてる
ああ、そうか・・・
僕は気がついた
こういうのを、幸せって言うんじゃない?
忘れちゃいけない大切なこと
そんな気がしたから、ここに記しておこう
今日は、午前中妻がスーパーへ買い物に出かけたので、息子と留守番。
久しぶりにスカッと天気が良かったので2人で公園へ遊びに行った。
1番近い公園はけっこう広いんだけども、すみの方にポツンと滑り台があるだけで、あとはベンチがいくつか・・・。
キャッチボールをしたりするスペースを重視した簡素な公園だ。
何人かのお母さん達とその子ども達が、滑り台で遊んでいた。
息子は最初土いじりをしたり、通りかかった電車や飛行機を指差したりして遊んでいた。
でも、時々チラチラと滑り台の方を見ていて、気になっている事は明白だ(笑)。
僕は息子を抱き上げて滑り台の階段を上がった。
「いくぞー!そおれっ!」
息子を抱えて滑り降りる。
息子はビビッてた。
でも、ビビリながらも「あー」と言って滑り台の上を指差している。
もう一回やれって事だ。
2回、3回と滑るうちに、滑り落ちながらケタケタと笑うようになった。
どうやら楽しいらしい。
何回目だったか、滑り降りてストンと息子を滑り台から降ろすと、息子は自ら階段へ走っていった。
小さな子でも登れるように、段差の緩く作られた階段。
それでも1歳になったばかりの息子には1段1段が高く立ちはだかる。
息子は最初、片足を上げて1段上へ踏み込もうとした。
息子の上げた足よりも階段は高く、僅かにとどかない。
足をめいいっぱい上げたせいでバランスを崩して後ろに転んだ。
泣くかな・・?いや、泣かない。
息子は立ち上がり再度階段に挑む。
僕は手を出さずに、しばらく様子を見ることにした。
息子は今度は転ばないように手すりを掴んで足を上げる。
頭を使ったが、やはり足は1段上にはとどかない。
しばし、かたまる・・・。
なにか、考えている。
悔しそうに階段を睨みつける、少し泣きそうなその瞳。
次の瞬間、ふと、表情が吹っ切れた。
息子は1段上の階段に両手をバンッと付いた。
そのまま体を前に倒して乗り上げるように上半身と片足を上げる。
そして、両腕を踏ん張ってもう片方の足も引き上げた。
見事!
息子は同じ方法で頂上まで登りきった。
這いつくばるように上がったから、服も手も砂だらけだ。
他の子達はみんな息子よりも年上。
普通に両足だけでスタスタ階段を上がってゆく。
息子もそれを見ていた。
皆と同じようにスタスタ階段を登る自分の姿をイメージして挑戦したはずだ。
そして、試行錯誤の結果、スタイルとプライドよりも『頂上にたどり着く』という結果を取った。
息子よ、それでいいんだぜ。
子どもは切り替えが早い。
頂上に付いた瞬間、その苦労なんか忘れてしまう。
誇らしげな顔を見せるわけでもなく、満足げな顔を見せるわけでもなく、もう頭の中は滑り降りる事でいっぱいだ。
あとから登った僕が「すごい!よくやった!」って褒めたって、息子は「何が?」って顔でキョトンとしてる。
「そんな事より早く滑り降りようぜ!」って感じで、わくわくした顔してる。
この好奇心と欲求に対する純粋さ。
僕の方が見習うべきかも・・・。
息子はそれから1時間、繰り返し滑り台を登っては滑り降りた。
息子はまだ1人では降りられないから、僕も同じ回数だけ登って降りた。
お前の笑顔は、俺の宝物だ。
滑り台の階段を登れた。
ただそれだけの事で、ハイライトのある1日になる。
僕は「子どもができて良かったなあ」と思う。
生まれてきてくれたことに、本当に感謝したくなる。
つまり、怒っているとか、笑っているとかを気にするようになってきた。
妻はそろそろ簡単な事から、いけない事をしたときは「いけない」と教えた方が良いといって、意識的に叱ることを始めた。
妻が、「いけないっ!」といって怒った顔をすると、息子は肩をこわばらせて萎縮し、上目遣いで僕らの表情をうかがう。
問題は、その姿があまりにも可愛い事だ。
僕はいつもそこで噴出してしまい、妻に怒られる。
「笑っちゃダメだって!新しい遊びと勘違いしちゃうでしょ!」
いや、わかってるんだけどね。
どうしても笑ってしまうんだ・・・。
妻が息子に「いけないっ!」と言う
↓
息子が僕の方を見る
↓
ぼく、噴出す
↓
息子が笑う
最近はこの流れがパターン化してきた。
妻には悪いけども、既に息子の中で新しい遊びになっていると思う。