岩手ですごした高校時代、よく一緒に悪さしていた友人が二人居ます。
去年の冬、私も含めた3人が偶然にも、同じ総武線沿いに居ることが判明。
10年以上の時を経て、関東でまた会うようになったのです。
昨日は、その片方の友人と小岩で呑んで来ました。
近況報告から家族の話まで、大いに語り合い、お酒は進みます。
終電ぎりぎりまで呑んで、おひらきとなりました。
終電10分前にホームについた私は、空いていたベンチに腰かけ、そして意識を失いました。
昨夜は、この冬一番の冷え込み。
寒さに目を覚ましたときには、ええ、手遅れです。
終電は姿も見えないところまで走り去った後でした。
私は酔いと寝ボケから、なぜか目的地の駅に着いたと思い込んでいました。
~ いやお前は電車にすら乗っていないから。 ~
切符を何度入れても、私をブロックしてくる改札。
5回目くらいで、ようやく私は自分がまだ小岩駅にいることを把握しました。
駅員のいる改札から外に出た私は、刺すような寒さの中、土地勘の無い小岩駅周辺をさまよいます。
タクシーで帰るほどのお金は持ち合わせていません。
「オニさん、マッサージどお?」
「サムイネ、アッタマッテッテ」
外国人女性のお誘いを丁寧に断りながら、20分ほどで探していたお店、マンガ喫茶を発見します。
朝までフリータイムの深夜パック、1500円。
受付の兄さんにわたし、案内された3番のブースへ。
椅子に座って、暖房の効いた部屋で再び意識が落ちてゆき…
と、その前に妻へ平謝りのメール、メール。
酒は呑んでものまれるな。
そういうお話でした。
仕事が終わった後、アルバイトの男の子と小一時間ほど雑談。
彼は沖縄から出てきた青年で、うちの店に来て一年半になります。
話は彼が16歳のところから始まり、関東に出てくるところまで続きました。
かなりのやんちゃ坊主だった彼。
今でも外見に、わずかにやんちゃの痕跡が残っています。
沖縄で恩人といえる人に出会い、その人の下で働き、彼はずいぶんまともな人間になりました。
彼が関東に出たいと話した時も、その恩人は応援し、気持ちよく彼の元から巣立たせてくれました。
彼は感謝の気持ちから、その職場での最後の給料一月分を恩人のロッカーに入れてきたそうです。
私はアルバイトのこういう話を聞くのが、とても好きです。
彼ら、彼女ら、それぞれが(あたりまえですが)自分が主人公の人生を生きていることを実感できるからです。
私の人生の付随物ではないのです。
「大切にしてあげなきゃ。」 そう思います。
そして、できれば何年か後に、その恩人のような存在になれていたら、とても光栄だと思います。
前にも書きましたが、私の実家は岩手県にあります。
岩手山のふもとの自然に囲まれた場所です。
子供のころはこの自然の中を駆け回ってすごしました。
動物や虫がたくさんいる森。
魚が水面からも見えるきれいな川。
秋には燃えるように色付く木々。
夜の闇に青白く浮かび上がる雪景色。
そこにあるのが当たり前の自然。
意識して眺めたことなんて、ほとんどありませんでした。
しかし最近は帰るたびに、見惚れてしまいます。
気に入った場所で、流れてゆく雲をぼんやりと眺める。
そんな、ゆっくり過ぎる時間がとても貴重に感じるのです。
都会のビルの森の中にも、実は『ゆっくり流れる時間』を演出した場所はたくさんあります。
リラクゼーションを売りにした施設の数々はけっこうな人気スポットだったりもします。
でもね、自然の中でそれを味わうと、人が意図して演出した『ゆっくり流れる時間』なんて、逆になんかいやらしいものに感じてしまうんです。
ここ半年くらい、空いた時間を使って独学で英語の勉強をしています。
いや、していました。が、正しいか。
一ヶ月ほどサボっているのです。
なにせ、普段の生活で英語を使うことなどありません。
ゆえに自分がどこまで伸びているのか、なかなか見えてきません。
仕事に関係すること。つまり、実益につながることに勉強を集中させよう。
そう思い始めていた、そんな時に今日の出来事は起こりました。
白人男性が来店。
カウンターの女の子が対応できず、インカムで私を呼び出します。
店内はうるさいので、外へ連れ出して話を聞きました。
彼がおそらくスシ、テンプラ、スキヤキくらいしか日本語を知らないであろうバリバリのネイティブスピーカーであることはすぐに分かりました。
彼 「ハガキを買って、投函したいのだが、何処に行ったら良いのでしょうか?」
私 (おそらく、そうだろうと思いながらも、不安なので確認)
「あなたはハガキを買って、それを投函したいのですか?」
彼 笑顔で「そうです」
私 「この通りをまっすぐ進むとコンビニエンスストアが見えます。そこで、あなたはハガキを買うことが出来るでしょう。」
「そして、そのコンビニエンスストアの道路を挟んだ向かいにポストがあります。」
彼 「おー、理解できました。コンビニエンスストアまでは、どのくらいですか?」
私 「50mほどです。名前はampmです。」
彼 「ありがとうございます」
数分間、たったこれだけのやりとり。
文に書き起こせば、中学生レベルの英語力で十分な会話でしょう。
彼も、私を気遣って出来るだけ単純な言葉を選んだと思います。
しかし、私は自分の勉強の成果を確かに感じました。
ネイティブスピーカーの発音を、ほとんど一発で聞き取ることが出来たのです。
おそらく私の答えは文法的には滅茶苦茶だったと思います。
でも、相手の聞きたい事がわかれば、身振り手振りも交えて何とか応えられるものです。
趣味みたいなもんだし、もう少し勉強を続けてみるか。
今日の出来事は、私にそう思わせてくれました。
もっと、成果が見えるようにTOEIC等のテストも受けてみようと思っています。
その程度の会話なんて出来て当たり前と思ったアナタ。
試しに洋画のDVDを英語字幕にして観てみてください。
聞きなれていない人には、相当簡単な会話すら目に耳がついていかないと思いますよ。
私たちの世代が受けた『学校の英語教育』は、そんなレベルなんです。
一昨日の出来事です。
遅番だったため深夜に帰宅。
休日前でビールが飲みたかったので、そのまま愛犬を連れて近所のコンビニへ出かけました。
いつも利用している一番近くのコンビニです。
ビールを取ってレジに行くと、店員が変わっていました。
コンビニの深夜のアルバイトが変わっていることなんて珍しくもありませんが、その新しい店員は初老の男性でした。
年齢は私の父親と同じくらいか上じゃないかと思います。
私に袋に入れたビールと釣銭を渡すとき、彼の右手は大きくゆっくりと震えていました。
何か怪我などの後遺症なのかもしれません。
私は釣銭を受け取り、「どうも」と笑顔で彼のおじぎに応え、心の中で『がんばってください』と応援しました。
どんな理由で彼が来客もまばらな深夜のコンビニで働いているのか。
もちろん分かりません。
自分の父親の姿を被せてしまったのかも知れません。
でも、ほんとうに涙が出るほど切ない気持ちになったのです。
コンビニを出ると、店の前に3人の若者がしゃがみこんで菓子などを食べながら下品な笑い声をあげています。
愛犬のリードを電柱からほどいていると、彼らの話が耳に入ってきました。
「あのジジイ、手メッチャ震えてんの!」
「ギャハハ」
「だから、俺も手ぇ震わせて受け取ってやった」
「ウケルー、ハハハ」
ウケネーよ、頭の悪いガキども。
10年後には思い知っているだろう。
生きてゆくのは、お前らが思っているほど甘くもないし、浅くもないぜ。