2009/02/07 03:24:06
息子と近所を散歩しているときに、同じくらいの子をベビーカーに乗せて散歩している白人のお母さんをたびたび見かけていた。
「こんにちは」程度の挨拶はしたことがあるのだけど、話してみたことはなかった。
英語で声をかけて、実はロシアの人とかだったら恥ずかしいなあ、なんて思ったからだ。
英語が世界のおおよその人に通じるという事実は知識としてわかっていても、やはり日本という言語に関して特殊な国にいると、それを実感するのは難しい。
本当はロシアの人だって、フランスの人だって、英語が苦手な日本人よりは、はるかに達者に英語を話すのだろうけども。
今日、そのお母さんはいつもの赤ちゃんのほかに、3,4歳のお姉ちゃんも連れて歩いていた。
その後ろを犬を連れて歩く僕は思わず聞き耳をたてた。
「お、英語だ!」
家族内の会話で英語を使っているということは、まず間違いなく英語圏の人だ。
僕は思い切って声をかけることにした。
テレコマンともあろうものが、こんな絶好の機会に緊張のあまりテレコのスイッチを入れ忘れてしまった・・・。
故にここから先の会話は僕の記憶だよりだ。
なので、間違えるはずのない彼女の言葉の文法もおかしいところがあるかも知れないが気にしないように。
ざっくりと感じてくれれば、助かります。
僕「ハーイ!」
彼女はこちらを振り返った。少し驚いた顔をしている。
小心者の僕は「ハーイ」の発音すらままならなったのかと心配になり、思わず言い直した。
僕「こんにちは!」
日本語かいっ!
彼女「コンニチワー」
ご丁寧に日本語でありがとうございます(恐縮)。
僕「ウォーキン?」
大げさに歩く仕草をしながら聞いた。「散歩ですか?」と。
彼女「イエース!ウィ・ゴイン・トゥ・〇〇ステイション」
彼女「デンシャノッテ、デカケマスー」と日本語で補足。
僕「オー、イエス!」
何がイエスなのか。彼女も苦笑い・・・。
聞き取れるとね、「聞き取れたよ」って嬉しさが言葉になってついつい「イエス!」って出てしまうのよ。
僕「ハウ・オールド・ユア・ベイビー?」
オールドとユアの間にアー(are)が入らなきゃいけない気がする。
文法の知識は考えなくても出てくるくらい染み付いてないと、実際の会話ではまったく役に立たないと知った。
それでも通じるもんだね。
彼女「シー・イズ・ワン・アンド・ハーフ・イヤー・オールド」
フムフム、1歳半か。
僕「シー・イズ・ベリー・キュート!」
彼女「オー、サンキュウ!」
超・笑顔だ。
うん、ギクシャクした感じもなくなって会話らしくなってきた。
僕「マイ・サン・イズ・ワン・イヤー・オールド・トゥー」
彼女「リアリー?アイ・ウォント・トゥ・シー・ユア・ベイビー」
いや、何回か一緒にいるときに挨拶してるんだけどね(笑)。
ここで僕は、またおかしな英語を使ってしまった。
赤ちゃんが歩けるか聞きたくて、つい動詞だけが先走って口から出てしまった。
僕「ウォーキン?」
主語無しでも通じてしまう日本語(日本人)特有のミスだ。日本語なら「歩ける?」で通じるもんね。
彼女は微妙な顔をした。
何せ会話の最初で、駅まで散歩していると答えてくれているのだ。
こいつバカか?何で同じこと聞くんだ?である。
僕はあわてて言い直した。
僕「キャン・ユア・ベイビー・ウォーキン?」
彼女は「ああ」と察した顔をした。
僕も通じてほっとした。
彼女「イエス!シー・キャン・ウォーキン」
僕の身振りの大きさにつられて、彼女も大げさに腕を振って歩くゼスチャーをした。
彼女「ユア・ベイビー・トゥー?」
僕「イエース!マイ・ベイビー・キャン・ウォーキン・トゥー」
彼女「ザッツ・グウッ!」
僕「へへへ・・・」
ここで公園の出口に着いた。彼女は駅の方、僕はマンションの方だ。
「グッバーイ!」
一緒に歩いていたお姉ちゃんも大きな声で手を振ってくれた。
なんだか、いつもの散歩が心地よい刺激に満ちた時間に変わった。
「声をかけて良かったな」って思った。
英語は話したモン勝ちだってよく言われる。
日本人は堅いから、とかく完璧な文法で完璧な発音で、かっこよく話したがる傾向があるようだ。
結果、恥をかきたくないから、なかなか話しかけられない。
でも、実際はネイティブでも文法を間違えたり、適当な使い方だったりするらしい。
その辺は、僕らがかしこまった文章のような言葉で普段会話しないのと一緒。
リアルタイムで考えて話さなければならない会話では、ネイティブでも構文が追いつかないことがあるのだ。
さらに、英語は英語圏だけじゃなく世界中の様々な国で教育されている。
それらの国ごとに、やはり、大なり小なり発音のクセとかナマリがあるのだ(得意不得意といってもよい)。
アメリカのように多国籍の人が集まる国では、それこそ物凄い数のナマリで英語が飛びかっている。
ネイティブの人達はそれを理解しているので、実は僕らが気にするほど発音にうるさくはないのだ。
むしろ、今日の彼女のように聞き取ろうと努力し、耳を傾けてくれる。
もちろん文法も発音も完璧なら言うことはないが、そうでないがために話しかけられないのでは、いつまでたっても英語なんて話せるようにはならない。
上記のようなことを、英会話の参考書で何度も目にしていたんだけど、今日の出来事はそれを実感させられた。
「こんにちは」程度の挨拶はしたことがあるのだけど、話してみたことはなかった。
英語で声をかけて、実はロシアの人とかだったら恥ずかしいなあ、なんて思ったからだ。
英語が世界のおおよその人に通じるという事実は知識としてわかっていても、やはり日本という言語に関して特殊な国にいると、それを実感するのは難しい。
本当はロシアの人だって、フランスの人だって、英語が苦手な日本人よりは、はるかに達者に英語を話すのだろうけども。
今日、そのお母さんはいつもの赤ちゃんのほかに、3,4歳のお姉ちゃんも連れて歩いていた。
その後ろを犬を連れて歩く僕は思わず聞き耳をたてた。
「お、英語だ!」
家族内の会話で英語を使っているということは、まず間違いなく英語圏の人だ。
僕は思い切って声をかけることにした。
テレコマンともあろうものが、こんな絶好の機会に緊張のあまりテレコのスイッチを入れ忘れてしまった・・・。
故にここから先の会話は僕の記憶だよりだ。
なので、間違えるはずのない彼女の言葉の文法もおかしいところがあるかも知れないが気にしないように。
ざっくりと感じてくれれば、助かります。
僕「ハーイ!」
彼女はこちらを振り返った。少し驚いた顔をしている。
小心者の僕は「ハーイ」の発音すらままならなったのかと心配になり、思わず言い直した。
僕「こんにちは!」
日本語かいっ!
彼女「コンニチワー」
ご丁寧に日本語でありがとうございます(恐縮)。
僕「ウォーキン?」
大げさに歩く仕草をしながら聞いた。「散歩ですか?」と。
彼女「イエース!ウィ・ゴイン・トゥ・〇〇ステイション」
彼女「デンシャノッテ、デカケマスー」と日本語で補足。
僕「オー、イエス!」
何がイエスなのか。彼女も苦笑い・・・。
聞き取れるとね、「聞き取れたよ」って嬉しさが言葉になってついつい「イエス!」って出てしまうのよ。
僕「ハウ・オールド・ユア・ベイビー?」
オールドとユアの間にアー(are)が入らなきゃいけない気がする。
文法の知識は考えなくても出てくるくらい染み付いてないと、実際の会話ではまったく役に立たないと知った。
それでも通じるもんだね。
彼女「シー・イズ・ワン・アンド・ハーフ・イヤー・オールド」
フムフム、1歳半か。
僕「シー・イズ・ベリー・キュート!」
彼女「オー、サンキュウ!」
超・笑顔だ。
うん、ギクシャクした感じもなくなって会話らしくなってきた。
僕「マイ・サン・イズ・ワン・イヤー・オールド・トゥー」
彼女「リアリー?アイ・ウォント・トゥ・シー・ユア・ベイビー」
いや、何回か一緒にいるときに挨拶してるんだけどね(笑)。
ここで僕は、またおかしな英語を使ってしまった。
赤ちゃんが歩けるか聞きたくて、つい動詞だけが先走って口から出てしまった。
僕「ウォーキン?」
主語無しでも通じてしまう日本語(日本人)特有のミスだ。日本語なら「歩ける?」で通じるもんね。
彼女は微妙な顔をした。
何せ会話の最初で、駅まで散歩していると答えてくれているのだ。
こいつバカか?何で同じこと聞くんだ?である。
僕はあわてて言い直した。
僕「キャン・ユア・ベイビー・ウォーキン?」
彼女は「ああ」と察した顔をした。
僕も通じてほっとした。
彼女「イエス!シー・キャン・ウォーキン」
僕の身振りの大きさにつられて、彼女も大げさに腕を振って歩くゼスチャーをした。
彼女「ユア・ベイビー・トゥー?」
僕「イエース!マイ・ベイビー・キャン・ウォーキン・トゥー」
彼女「ザッツ・グウッ!」
僕「へへへ・・・」
ここで公園の出口に着いた。彼女は駅の方、僕はマンションの方だ。
「グッバーイ!」
一緒に歩いていたお姉ちゃんも大きな声で手を振ってくれた。
なんだか、いつもの散歩が心地よい刺激に満ちた時間に変わった。
「声をかけて良かったな」って思った。
英語は話したモン勝ちだってよく言われる。
日本人は堅いから、とかく完璧な文法で完璧な発音で、かっこよく話したがる傾向があるようだ。
結果、恥をかきたくないから、なかなか話しかけられない。
でも、実際はネイティブでも文法を間違えたり、適当な使い方だったりするらしい。
その辺は、僕らがかしこまった文章のような言葉で普段会話しないのと一緒。
リアルタイムで考えて話さなければならない会話では、ネイティブでも構文が追いつかないことがあるのだ。
さらに、英語は英語圏だけじゃなく世界中の様々な国で教育されている。
それらの国ごとに、やはり、大なり小なり発音のクセとかナマリがあるのだ(得意不得意といってもよい)。
アメリカのように多国籍の人が集まる国では、それこそ物凄い数のナマリで英語が飛びかっている。
ネイティブの人達はそれを理解しているので、実は僕らが気にするほど発音にうるさくはないのだ。
むしろ、今日の彼女のように聞き取ろうと努力し、耳を傾けてくれる。
もちろん文法も発音も完璧なら言うことはないが、そうでないがために話しかけられないのでは、いつまでたっても英語なんて話せるようにはならない。
上記のようなことを、英会話の参考書で何度も目にしていたんだけど、今日の出来事はそれを実感させられた。
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